自動車産業帝国 2
フォードは1920年の経済危機の間に30パーセントの値下げを行い、その後の1921年には、10年間で12倍に成長したこの市場で60パーセントの占有率を占めました。
1927年までには、1500万台の車を売り、売上高70億ドルを数えました。
最初の2万8000ドル以後、新しい資本の注入のなかった自己資本は、約6億ドルの現金を含めて7億1500万ドルに上っていました。
同じ戦略をとって、フォードはトラクタi市場でも優位に立ちます。
やがて人々の嗜好が変り、オープンカーが好まれなくなりました。
しかしフォードは方針を変えませんでした。
GMは屋根つきのシボレーを値下げして低価格車の市場に割込みます。
・・・ついにフォードは敗北を認めなければなりませんでした。
彼は1年がかりでモデルAの製造開始に向けて生産設備を改めました。
しかしフォードはすでに資本主義の歴史のなかで最高の地位についていました。
企業家経済の基調となる法則を見事に実際に示すことによって、彼はマルサス理論の憂縷な計算の限界、すべてのありきたりの経済モデルの数学的な制約を打ち破ったのです。