自動車産業帝国
1910年のヘンリー・フォードの場合、その結果は60パーセントの売上げ増となり、モデルTはビュイックをはるかに引き離しました。
値下げによる大きな利益は、短期間に最大の収益をあげようと努力している競争会社の投資の目標と予想に大きな衝撃を与えることです。
この場合、フォードは恐慌も不景気もなしえなかったことをなしとげたのです。
・・・すなわちゼネラル・モーターズを拡張しようというウイリー・デュラントの遠大な計画を挫折させたのです。
ビュイックの市場制覇にかけて金を貸付けていた銀行家たちの信用を失い、銀行は貸付金の回収を始めました。
その結果フリントにあるデュラントの巨大な建設プロジェクトでは厳しいレイオフが実施され、会社に与えた損害の克服には10年を要しました。
フォードも教訓を学んでいました。
1914年の景気後退の年に、彼は2度値下げをし、他の会社が倒産するなかで彼の売上げはうなぎ登りに増えた。
1916年までに、モデルTの価格を360ドルまで下げ、市場占有率は10パーセントから40パーセントに増えた。
一方のゼネラル・モーターズの占有率は、23パーセントから8パーセントに滑り落ちたのです。